« 2009年1月 | メイン | 2009年3月 »

2009年2月アーカイブ

2月9日午後3時から、川越地区雇用対策協議会主催の「最近の経済金融情勢について~埼玉県経済を中心として~」を受講してきました。参加者が数十名ほどありました。
主題に経済金融情勢とあり、サブプライムローン破綻から、リーマン ブラザース証券倒産を受け景況が悪化している状況にあるので受講する気になったのです。
会長挨拶で昨今の景況に触れ、昨年10月から景況が極端に落ち始め、更に悪化の様相を呈していることを話し、国会で雇用問題が取り上げられていることにも話が及んでいました。

講師は、財団法人埼玉リソナ産業協力財団 調査部長 島崎 光男氏でした。
受講する前に、「強欲資本主義・ウォール街の自爆」と言う本を読んでいたのでどんな話が聞けるかなと、金融の詳しい話を期待していました。
しかし、講演の冒頭、講師は地元の経済構造を主題にしたいと断りがあり期待した話は聞けないのかなと思いながら聞いていました。

始まると結構興味を引く話なので、メモを取りながら聞いていました。
最初、やはりアメリカのサブプライムローンの話題を取り上げていました。
住宅の価格が上がることを前提にローンを組んで買う人たちが大勢居て、且つ低所得層まで及んだ。日本における土地神話と同じ様相であった。
人間の欲が神話を作り、それが跋扈すると危険だと言う説明がありました。
確か、アメリカ住宅バブルの最中、教会の牧師までが手数料を貰いながら、お客探しに奔走した話を聞きました。欲が聖職者まで狂わした事例でしょう。

「強欲資本主義・ウォール街の自爆」によると、アメリカで崩壊した「住宅バブル」の芽は、グリーンスパン前FRB(連邦準備制度理事会)議長時代に形成された。とあり2001年の頃です。
こんな事態を招いたアメリカは独善的過ぎます。1929年にも同じ事をしでかし、大恐慌を起こしています。80年前の教訓が生かされないのは「歴史から学べない」事にあるのでしょうか。

配られた資料で最初に説明されていたのが、「日本経済動向」で引用しますと次のような判断でした。

「国内経済は、個人消費、設備・住宅投資、輸出のいずれも弱い動きが続いており、景気の牽引役が見当たらない厳しい状況が続いている。サブプライムローン問題や株価の急落、更に円高の影響も加わって、輸出産業を中心に大幅な減産に追い込まれる企業が増えており、景気の調整が長引き、2009年度は2%程度の大幅マイナス成長となろう。」
下線部の記述は、実感します。当社の営業が各取引先を回って聞く話によると、先ずは1ドル100円前後にならないと動きが出ないと判断されているようです。
「埼玉の景気情勢」では次のように書かれていました。
「・・・・・・県内景気が厳しい状況を脱して再び加速するのは、早くても来年度後半以降とみられ、2009年度の埼玉県経済の実質成長率も大幅なマイナスになると予想される。」
国全体の景気動向と同調する形なのでしょう。
地元経済の話は興味深く聞けました。
「埼玉県経済の現状と特徴」でこの様な説明をしていました。
恵まれた地域であるが、1980年代までの優位性は失いつつある。
人口構成からみると、昭和60年代までは若かったが高齢化のスピードが速まっている。
埼玉県の人口動態
%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E5%8B%95%E6%85%8B.jpg
この表から見て分かるとおり、社会増加(県への流入人口)が平成19年度の例外を除いて年々落ちてきています。埼玉県は他県からの流入が多く続いてきたが平成9年から極端な落ち方をしている。埼玉都民と言われる人たちが多く流入した時期、埼玉はベットタウン化し、多くの企業はその奥さん達をパート採用して、地元の経済的発展が可能であった。狭山市などは自動車会社誘致で発展している。(※注但し現在、狭山市から他の場所へ移転計画があったが、この景気で頓挫している。しかしいずれは狭山市から県内ではあるが他の場所へは移転する計画。当社の従業員で狭山市に住んでいる者がいるが移転すれば住民税が上がると話していた。)
しかし、海外など他へ移った企業も多くあり、埼玉県として別の産業育成の時期にも来ていると話していた。
老年人口比率
%E8%80%81%E4%BA%BA%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E6%AF%94%E7%8E%87.jpg

それも、若い人を正規雇用できるような産業でないと若い人たちは定着しないだろうとも話していた。
社会増加しない一因としてバブル崩壊後、都の住宅価格が下がり、都へのゆり戻し現象が起きている。
確かに2010年では65歳以上が20%を超えると表に書かれている。
例ですが私の住む町は老人が増えて、しょっちゅう救急車が走っています。
昭和40年代に入り、急速に住宅化が進み、当時住宅を購入した人達が高齢化しているのです。

高齢化が進み、若い人たちが定着しなければ、県民所得順位は下がり続けるだろうとも話していた。県としても、この流れに対応した施策を企画しなければ、地元経済の発展は見込めない。
講師が住む市の例として市議会選挙では福祉が選挙の目玉になって短期的展望で市政が動いてしまうことを嘆かれていました。
長期的展望に立って、地場産業の育成があってこそ福祉が出来る財源が確保されるのだからと。市議会議員のある方を叱責した事もあるそうです。

一例として、講師の提言で「介護産業の現状を見直し、サービスとして付加価値を高めた介護などもあってもいいのではないか。高い付加価値のある介護サービスを受けたい人もいる筈、一律でないやり方がある筈だ。」とも話していました。
この話に関連して、食料品が中国富裕層を相手に輸出品として注目されて神奈川県、千葉県などがそれに注目している。1%の富裕層、それでも1000万人以上がいることになります。マーケットとしては大きい市場です。
日本が中国人に健全な食料品を供給し、わが国では中国の農薬付けの食料品を食う羽目になると皮肉交じりに話しをしていました。

講師の方が、何度も繰り返し使っていた言葉が「陸蒸気(機関車)ができて、水運から陸運に代った時」と同様時代が変わっていくことを読めずに適応していかないと経済発展のチャンスを逃すことはいつの時代も同じであると。確かに、路線の駅誘致をして地域経済が発展した事例はいくらでもあります。
私の住んでいる町は、新河岸川が流れていますが東上線が出来るまでは水運が隆盛だった時代、廻船問屋を営んでいた方の大きな屋敷が史跡として残っています。

講演の話で、キーワードとして地域経済活性化には若い人の定着が条件となるとの印象を持ちました。ある地域では若者に家賃を援助し定着化を計っていると話がありました。
成長のために資本主義社会では消費していく活力がないと発展は望めないような気がします。いろいろな状況がこの世界で起こっています。満足に食料が満たされない国、北半球、南半球の格差など言われますが生きる事と、向きあう事は今も昔も変わりません。

この講演を聞いて、思い出した事は昭和30年代に製作された「楢山節考」と言う映画でした。ギター奏者だった深沢七郎氏が書いた小説を映画化したものです。
私が小学校六年の時、映画ポスターを見た記憶があります。松竹映画製作で主演高橋貞二、田中絹代で、記憶にある物語の骨子は「ある地域“村”で食料が一定量しか供給できず、孫が生まれると食料を確保するため老人が自ら死を選び、山に篭もって食べずに死んで行く」話しとして記憶に残っています。後に、主演、緒形拳、坂本スミ子でリメイクされています。

この物語で感じることは、人として子孫がくいつないでいけるよう願う気持ちから出来た慣習かなと、福祉も大切なこととして否定出来ませんが、これからは生きていく若い人達に対して政治的にいろいろな面(働く場、子育てしやすい場など)を配慮しなければならない社会になってきたと感じさせる講演でした。

塗装実績を更新しました。

通信機器部品はアルミ押し出し材で素材としては純アルミとなります。
付着性を出すために、下塗りにプライマーを使用する場合もありますが、当社の
下地処理のため1回塗りで済んでいる例です。

三脚台の部品はレザートーンの模様塗装で目は細かく仕上げています。

センサー部品はレザーサテンの模様塗装で塗膜はザラツキ感が出ます。
目が細かいので20倍に拡大した写真を掲載しました。色が変わっているのは
デジタルマイクロスコープの照明のせいです。

ホームページ上でご紹介した塗装について、更に詳しく知りたい方、どうぞお電話にてお問い合わせください。


◆お問い合わせ先電話:049-266-5800
 受付時間:10:00-17:00(日・祝日を除く)
お問い合わせフォームはこちら
◆担当:上野

ある取引銀行の方と、最近の景況などに触れ、お話をしている中で、他行では入力端末機を使用していますが、あなたの銀行ではどんなものを使っているのですかと質問したのです。
そうすると、おもむろに鞄から出してきた製品が下の写真です。
見ると、見覚えのある形をしているのです。よく見ていると当社の塗装仕様にまったく同じ、ツートンカラーで仕上げてあり確認したら当社のものでした。
偶然にも、こんな形で完成品と出会ったので、ある感動を覚えました。塗装した部品が完成品となった形で見ることはそうそうありません。従業員にも見せたいのですがと申し出ました。
大切な道具ですからというので、行員立合いのもと、皆に見せに回ったのです。
手間をかけて塗装した部品の使われ方を実際に目にし感激していました。
役立っていると実感できたのでしょう。

%E6%9C%80%E7%B5%82%E8%A3%BD%E5%93%81%EF%BC%B0%EF%BC%AF%EF%BC%B3.JPG

1月27日の新聞のコラム欄に何気なく目をやると、漢字の話題に触れていました。漢字には関心がある方なので興味を引き読みました。漢字に関心を持つ切っ掛けは親がつけてくれた私の名前にあります。「恒暉」これが私の名前です。記憶では小学校3、4年生位から漢字で名前を書いていたと思います。先生でも正しく読めず、「つねてる」「つねき」と読まれるケースが大半でした。今でも名刺交換などする時、読めますかと聞く場合がありますが同じ答えが返ってきます。亡くなった親父が姓名判断の先生に頼んでつけてもらったと言っていました。正しくは「つねあき」と読みます。

説明が長くなりましたがコラムの記事の話に戻ります。
漢字ブームにさらに火を点けたのがある人の「誤読」にあるとありました。漢字ブームの立役者なのに人気は急落中とも書いていました。
テレビ報道から「未曾有」の「有」のところを「ゆう」と読んでいた事を知りました。他にいくつか誤読をしていましたが、「有」を「う」と読むことを私が覚えたのが小学校4,5年の頃、担任の先生が※ガリ版刷りで手作りの漢字問題集からです。漢字の「読み」か、漢字を「書く」か、どちらか忘れてしまいましたが六級から一級までの段階に分けて学習させ進級させるものでした。この問題集、先生等が、朝早く学校に出て作成していていたようです。同窓会の時、先生が話してくれました。
(※(ガリは鉄筆で原紙を切る音から)謄写版の俗称 広辞苑より。確か、原紙は薄い油紙だったと記憶しています。小学校か中学校の頃、使った記憶があります。)
その中に「有無」の漢字があり、「うむ」と読むことを覚えました。ある人が読むと「ゆうむ」となります。
この報道で、小さい頃「漫画本」ばかり読んでないで、本を読みなさいと大人たちが言っていた意味を再認識しました。

漢字ブームで、財団法人・日本漢字能力検定協会が検定料で約15億円の利益があり、昨年度の受験者272万人で7年前は約158万人でその急伸ぶりはすごいとも書いていました。漢字に関心が集まるようになったのはいい事と思います。
しかし、逆に考えると漢字が読めない人達が増えていて、その反省からとも考えられるのではないでしょうか。
高校の頃(昭和37,8年)の記憶ですが、ある先生が、「今の人達は、『漢文』を読まなくなったから言葉を多く知らない」と言っていた事を思い出します。
当時、漢文の授業はありました。私は結構、興味を持って受けた記憶があります。授業で印象に残っているのは、「流石」の語源の説明でした。説明してくれた内容は忘れましたが、それを聞いて「流石」と書いて「さすが」と読むんだと教えてくれた時、成程と納得した経験があります。確かに漢文で書かれた書物、漢詩など読めば漢字を自然に覚えるのではないかと思います。

漢詩の一例
 「春望」      杜甫
国破山河在   国破れて山河在り
城春草木深   城春にして草木深し
感時花濺涙   時に感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ
恨別鳥驚心   別れを恨(うら)んでは鳥にも心を驚かす
烽火連三月   烽火(ほうか)三月(さんげつ)に連(つら)なり
家書抵万金   家書(かしょ)万金(ばんきん)に抵(あた)る
白頭掻更短   白頭掻けば更に短く
渾欲不勝簪   渾(すべ)て簪(しん)に勝(た)えざらんと欲(ほっ)す
                        「漢詩をたのしむ」より
しかし、受験には必要とされていなかったためか、授業回数は多くなかったと思います。 
その先生、当時70才超えていて、ノーベル賞受賞作家になった方が教え子だったことが自慢でした。
それと、授業中よく授業から逸れて、いろいろと話をするのです。他の生徒にはそれが不評な面がありましたが、私にとって授業から逸れて話す、その話を興味深く聞けました。
例えば、剣道をやっておられたのだと思いますが、授業中、荒木又衛門の伊賀上野「鍵屋の辻」の決闘の話に触れ、実際は敵方の従者に尻を木刀で叩かれていた。それが真剣だったら、尻を斬られると止血が出来ないから又衛門はやられていたと。
他に、印象にある話が、中国が本来の字体を簡字体に変えていくことを「漢字の文化」が壊れると批判していた事です。その話、私は納得して聞いていました。

10年ほど前、居合の稽古をしていた縁で、台湾の女の方と知り合いになって話す機会があり、漢字の事が話題に上り、その方もやはり中国の簡字体は良くないと言い、台湾では本来の字体を教えていると話していました。
その方スナックを経営されていて、そこで台湾(中国)語の勉強会をしていたので、わずかな期間ですが参加したことがあります。その時、勉強のためと思い台湾の小学校で使われている教科書を講師に当たる人に頼んで取り寄せました。教科書をコピーした物です。
学年で言えば低学年用ですが、画数の多い漢字がびっしり詰まっている本でした。
ただし、ルビをふってあり読めるようになっていました。日本語のひらがなに相当する文字で発音を示していました。
この教科書を見て、これを読んで勉強しているとは、と驚きもありました。しかし、私の持論ですが画数が多い漢字は難しいと言う判断は誤りだと思います。子供の目で字体の形象を把握していく作業で充分学習できると言う感じがするのです。小学校時代、九段上(靖国神社の傍)に住んでいた友人から戦災の消失を免れた本を借りたことがあります。旧漢字で書かれていました。見たことのない漢字に興味を覚え読んで見たくなり借りたのです。確か、ルビがふってありそれで旧漢字を覚えた経験があります。

コラムで次の記述に最も関心が行きました。
「『学習時間が漢字習得の苦しい時間に空費されている』とは戦後来日した米教育使節団の漢字廃止論だった。」
この記述で、当用漢字が決められた背景の一端を思い出したからです。
私の記憶ではこうです。
「漢字は難しく字を読めない人も多く思慮できず、国が一方的な思想統一が行えたと判断、戦時体制を非難し、使用する漢字を減らす当用漢字制度がアメリカ占領軍の考えによって作られた。」
アルファベット26文字しか知らないアメリカ人にとって見ればそう思えるのでしょうが思慮不足な判断と思えます。
占領政策で、古事記、日本書紀などの神話も歴史教育で教えないようになりましたが、理由は歴史的事実が証明されないことは歴史教育に使ってはならないとの判断があったと記憶しています。これも今になってみればやはり彼らの思慮不足な判断と言う印象を持ちます。

戦後そんな風潮に便乗して、日本語を廃止して、母国語(日本語)をフランス語にしようと言った訳の分からぬ変な文化人がいたと聞いたことが記憶としてあります。
子供心に、使用する漢字を制限するのは「変だなー」とは思っていましたが、今でもおかしいと思っています。
その証拠に現在では常用漢字と称して、使用する漢字数を増やしています。新聞記事に拠るものですが見出しにこう書かれていました。
「鬱、顎・・・難字も登場 パソコン変換普及で」小見出しでは「常用漢字 新らたに191字」とありました。
追加される漢字を見ると日常的に使われている漢字ばかりです。
例えば「尻」です。当用漢字が常用漢字と見直されたのは'81年とありましたが、他にあげると裾、須、腎、芯、拭、憧、哨、蹴、羞、袖、呪とあり、ワープロで書けば全て出てきます。
その字「尻」が常用漢字に該当していなかったのが不思議に感じるくらいです。こんなことを審議する「文化審議会国語分科会」の存在する意味があるのでしょうか。
「拉致」という漢字が、北朝鮮「拉致」問題で取り上げられ、ニュースで頻繁に報道されていましたが、当初は「ら致」とテロップで流れていました。今では「拉致」と使う様になっています。漢字の使用の制約が漢字を覚えられない事例のひとつと思います。

報道など、ニュース、新聞、漢字の使用の制約はしないほうが良いと思うのですが。目にすることで覚えるのですから。難しい漢字と思うのであればルビをふればよいのです。
ただ、思うのですが常用漢字に取り上げられていない漢字、本を読んでいくらでも目にしていましたので、制度としてあるだけのものと言う認識はありました。
常用漢字が決められた経緯が記事に書いてありました。引用しますと「1949年までに定められた1850字の‘当用漢字’がルーツ」。‘81年の95文字追加、今回191字で2136字となる。
パソコンの普及でワープロが使えるようになっている現在、制定当時とは違い簡略化しなくても漢字を扱える様になっているので見直しをしてみても良いのではないでしょうか。
例に取り上げた漢詩「春望」に使われている漢字すべてパソコンで書けました。

余談ですが17、8年ほど前、合気道を指導している頃、アメリカ人が入門してきました。
ユダヤ系アメリカ人で滞在する3ヶ月期間の間でも稽古したいと言うので入門を許しました。身長は190センチ近くあり、彼の名はヒュー レスリーと言い、漢字が好きで道着の肩口に漢字を当てて「麗須離あるいは利」と名前を書いていました。アメリカ人の漢字の見方が時代と共に変化して単純なアルファベットの文字より、素敵に感じるようになったのでしょう。共に歩いている時、私より下がって歩けと言うと、「三尺下がって、師の影を踏まず」と言う事と知っていた様です。かなりの日本贔屓だったのでしょう。

<追記> 2/20 「流石」の語源、由来についてどうだったか気になったので検索した所、それについて触れていたサイトがありました。
http://hoop.exblog.jp/1284992/
読んだのですが、そうだったかと思い出すことは出来ませんでした。

旧漢字参考資料
台湾の小学校の教科書
%EF%BC%92%E6%9C%88%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E5%86%99%E7%9C%9F%E6%8E%B2%E8%BC%89%20001.jpg
大正5年初版の「新訂詳解漢和大事典」
%EF%BC%92%E6%9C%88%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E5%86%99%E7%9C%9F%E6%8E%B2%E8%BC%89%20006.jpg
大正12年初版「藝術と道徳」西田幾多郎著
%EF%BC%92%E6%9C%88%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E5%86%99%E7%9C%9F%E6%8E%B2%E8%BC%89%20005.jpg

最近のコメント

ATOM最新記事のフィード